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世界の中の李舜臣

李舜臣は壬辰倭乱当時、大活躍を繰り広げた朝鮮の名将である。1592年、日本の侵略で危機に陥った状況で20回余りの海戦を全て勝利に導いて国と国民を守った。世界最初の装甲船といえる亀甲船を創案し、閑山島海戦では鶴翼陣戦術を利用した艦砲海戦で大勝利を収めた。特に13隻の船で130余隻の日本戦船を撃退した鳴梁海戦は世界海戦史の奇跡と呼ばれている。最後の露梁海戦で“戦いは今こそ大事なときだ、私が死んだことを知らせるな。”という愛国の遺言を残して戦死した李舜臣は、400年が過ぎた今日でも韓国人が最も尊敬する人物の一人として残っている。

李舜臣は世界の歴史上どの記録からも見ることができない戦果を記録した。ジンギスカンは20度の戦闘で2度敗れ、ナポレオンは23度の戦闘で4度敗れ、フレデリック大帝は12度の戦闘で3度敗れ、ハンニバルは5度の戦闘で一度敗れた。しかし李舜臣は23度戦って23度全て勝った。絶対的に劣勢の兵力と艦隊数で7年間23度の大小の海戦でただの一度も敗れることなく勝利に導き、その一方で日本軍の攻撃を受けて失った戦船はたった2隻だけだった。

このような李舜臣に対する世界の人々の評価は以下のとおりである。

李舜臣は西洋史学者の間ではよく知られていない。李舜臣は戦略的状況を広く把握して海軍戦術の非凡な技術で戦争の唯一の真の精神である不屈の攻撃原則によって、常に鼓舞された統率原則を兼ね備えていた。彼の猛烈な攻撃は絶対に盲目的な冒険ではなかった。イギリス人にその功績において、ネルソンと匹敵するほどの人物がいることを認めさせるのは常に大変だ。しかし、もしそのような栄誉に見合う人物がいるならば、それは一度も敗れたことがなく、敵軍の中で戦って死んだこの東方の海軍司令官であろう。彼が出戦するごとに朝鮮半島沿岸の海の下には勇敢な兵士たちと共に沈められた数百隻の日本戦船の残骸が積もっていった。そして本当に初めから最後まで彼は決して失敗したことがないということは誇張でない。多様な各状況で完全無欠にことを処理していくところに非の打ちどころがなかったのだ。彼の全業績を要約しようとするなら、過去の歴史の中で指針とするほどの教えがなかったにもかかわらず、彼は海で戦わなければならないとき戦い、常に勝利に導き、彼の祖国を守護する最上の犠牲で人生を終えた。
<英国海軍准将ジョージ・アレクサンダー・バラード、G. A. Ballard>


脇坂安治

"天地を揺るがす才能と海をも操った功労だ。"
<明国水軍提督、陳璘>


私がいちばん恐れる人は李舜臣であり、
最も憎い人も李舜臣であり、
最も好む人も李舜臣であり、
最も欽慕して崇めたてる人も李舜臣であり、
最も殺したい人もやはり李舜臣であり、
最も茶を一緒に飲みたいのもまさに李舜臣だ。
<壬辰倭乱参戦日本軍大将、脇坂安治>


昔から将軍として妙法をつくした者は1人2人に終わらない。海軍将軍としてこれを調べれば、東洋では韓国の李舜臣、西洋ではイギリスのNELSON(1758-1805)をあげざるをえない。不幸にも李舜臣は朝鮮に生まれたので西洋に伝えられずにいるが、壬辰倭乱の文献を見れば実に偉大な海軍将軍である。西洋で彼に匹敵する人物を探すなら、オランダのRuyter Michiel(1607-1678)以上でなければならない。ネルソンのような人物はその人格においても到底肩を比べることはできない。将軍(李舜臣)の偉大な人格、優れた戦略、天才的創造力、外交的な手腕などはこの世のどこにおいても彼に代わる人物を探すことができない絶世の名将として誇りとするところだ。
<日本海軍准将,佐藤鉄太郎>


日露戦争(1904-1905)当時日本海海戦で世界最強のロシアバルチック艦隊を打ち破った東郷平八郎提督が開戦したあとの祝宴会でのことだ。ある人が東郷提督にへつらいの言葉をならべた。“今回の大勝利は歴史に残る偉大なものです。ナポレオンをトラファルガー海戦で敗北させたネルソン提督に匹敵するほどあなたは軍神です。”といった。東郷はこれに答えて“称賛のお言葉は有難いが、実際ネルソンはそのように偉大な人物ではありません。本当に軍神の名にあった提督がいるとするならば、それは李舜臣ぐらいでしょう。李舜臣に比べたら私は下士官にもなれない存在です。”と話したという。
<日本史学者安藤彦太郎他,『日・朝・中三国人民連帯の歴史と理論』,日本朝鮮研究所,1964>

東郷平八郎

"私をネルソンと比べるのはよいとして、李舜臣と比べるのは耐えられないことだ。"
<勝利祝宴答辞から-日本海軍提督,東郷平八郎>


李舜臣の死はまるでネルソンの死のようだ。彼(李舜臣)は勝って死んだし死んでも勝った。朝鮮役の前後7年間にかけて、朝鮮国の策士、弁士、文士は多かったが、戦争では本当に李舜臣一人を自慢の種にせざるを得ない。また日本水軍の大将らは李舜臣が生きているときに気をゆるめることができなかった。彼は実に朝鮮役において、朝鮮の英雄だけでなく東洋3国を通じて最高の英雄だった。
<『近世日本社』著者,徳富猪一郎>


李舜臣は清廉な人物で、その統率力と戦術能力を見ても、忠誠心と勇気を見ても、このような人物が実在したという自体が奇跡というほかない理想的軍人だった。イギリスのネルソン以前において名が知られた将帥でも世界歴史上李舜臣ほどの人物はいないし、この人物の存在は朝鮮でも忘れられないだろうが、かえって日本人の方で彼に対する尊敬心が継承されて、明治維新期間に海軍が創設までされたので、その業績と戦術が研究されなければならない。
<歴史作家,司馬遼太郎>


小西、島津などは李舜臣が死んだのも知らずに戦ってまた敗走した。これこそ死せる諸葛孔明生ける仲達を走らすも同然だ。戦いが終わるや、そのときはじめて李舜臣の死を知った陳璘は驚いて船で3度倒れて嘆いて“本当にこれほどの者は古今にいない!”と言った。死ぬことによって国を守ったその忠烈。朝鮮王朝は衰亡し始めて3百年後日本に合併された。一つ、豪傑李舜臣の令名はいつまでも輝くだろう。
<『李朝史大全』著者,青柳南冥>


東郷が輝かしい戦果をたてたことは事実だが、李舜臣将軍と比較すると彼の足の指一本にも及ばない。李舜臣にネルソンのような挙国的な支援とそれだけの豊富な武器と艦船を与えたとすれば、我が日本は一日で占領されてしまっただろう。非常に失礼だと思うが、韓国人は李舜臣将軍を聖雄だと持ち上げるばかりであって、彼が本当にどれほど偉大な人物であるか日本人よりも知らずにいるようだ。
<日本海軍戦略研究家,川田功>